令和6年(2024年)甲辰(きのえたつ)の一年を振り返り、さらに令和7年(2025年)乙巳(きのとみ)の年の展望について考察を試みる。
本稿では、甲辰という干支の象意を中心に、文字学の知見を活用して時代の本質を明らかにするとともに、乙巳の年の象徴性に焦点を当てる。そして、60年前の乙巳年にあたる1965年の出来事と、それが現代および未来に与える影響についても論じる。
令和6年(甲辰、きのえたつ)の振り返り
令和6年は「甲辰」にあたる年である。「甲」は十干の最初であり、新しい始まりや生命の萌芽を象徴する。一方で「辰」は十二支の五番目であり、春から夏への移行期を意味し、成長と変化を内包している。甲辰の組み合わせは、生命の勢いが一段と高まると同時に、基盤を整える重要な時期であることを示している。
2024年は、日本国内外で多くの変化が顕在化した年であった。例えば、気候変動への意識がさらに高まり、環境問題に対する具体的な行動が進展した年として位置づけられる。甲辰の「甲」は天地の間に新たな秩序を生む力を持ち、従来の枠組みを超えた発想が求められる時期を象徴する。それゆえ、社会全体で技術革新や新たな価値観の共有が加速した一年であった。
さらに「辰」の持つ象意から、変化が進む中で隠れた矛盾や未解決の課題が表面化する場面も多く見られた。政治・経済の分野では、急速な技術革新による利益分配の不均衡や、新興国と先進国間の摩擦が取り沙汰された。また、個人の生活においても、コロナ禍以降の新しい働き方が定着する中で、心の健康やコミュニティの在り方に再び注目が集まった。
こうした背景の中で、甲辰の年は新しい発展の兆しが随所に見られた一方で、内外の調和をどう図るかが問われた一年であった。安岡正篤先生の思想に照らせば、「天の時、地の利、人の和」が重要であり、特に「人の和」の深化が課題として浮かび上がった年であるといえる。
令和7年の干支
令和7年の干支は、乙巳(きのとみ)である。
乙の意味
乙は植物が芽を伸ばして曲がりくねりながらも成長しようとする様子を表す象形文字である。このことから、順調に見える成長の過程においても、試練や障害がつきものであり、それらを克服して進む必要があるという意味を持つ。乙は、変化の兆しを示すとともに、次の段階への基盤づくりの年である。
乙はまた、柔軟性と適応力を象徴しており、既存の価値観や方法に固執するのではなく、新しい状況に合わせて対応する必要性を示唆している。このため、令和7年は柔軟で適応的な視点を持ちながら成長を図る年となる。
巳の意味
巳は、成熟を象徴すると同時に、新たな変化や脱皮を意味する会意文字である。生命の循環においては、巳の段階は成長の終盤に位置し、結果が見え始める時期を表している。しかし、巳は終わりを意味するのではなく、次の新しい段階への移行を示唆している。
巳はまた、独立心や内面の探求を象徴し、外部の状況に流されることなく、自らの道を見つける力が求められる。したがって、巳の年には、個人や組織が成熟した成果を確認すると同時に、次なる成長への準備を進めることが期待される。
乙巳の意義
乙巳の年は、植物が曲がりながらも芽を伸ばし、成熟の終盤に達する様子を象徴している。このことから、令和6年に芽吹いた新しい動きや取り組みが実を結び始める一方で、その成長を次の段階へ進めるための変革や適応が求められる年である。
特に、乙巳の年は柔軟性と決断力が鍵となる。成長の過程で現れる試練や変化を乗り越え、新しい価値観や方法を取り入れることが必要である。また、成熟した成果を基盤として、さらに広い視野で未来の可能性を模索することが求められる。
例えば、個人においてはキャリアの転換点となる年であり、新しいスキルの習得や価値観の刷新が重要になる。社会においては、新しい技術や政策が成果を上げると同時に、それを社会全体に浸透させる工夫が必要となる。
ここで、60年前の乙巳の年1965年を振り返ってみよう。
1965年(昭和40年)乙巳年の出来事
1965年(昭和40年)は、令和7年の60年前にあたる乙巳の年であり、当時の出来事を振り返ることで、未来を考えるヒントを得ることができる。この年は、戦後20年を迎えた日本が高度経済成長の只中にあり、国内外で多くの変化が起こった。
1965年には、日本と韓国の間で「日韓基本条約」が締結され、両国間の国交正常化が実現した。この出来事は、歴史的な和解への第一歩であり、現在に至るまでの両国関係の基盤を築くものとなった。また、この年はベトナム戦争が激化し、冷戦構造が国際社会に大きな影響を及ぼした時期でもある。
国内では、新幹線の延伸やインフラ整備が進み、経済成長が国民生活を豊かにする一方で、都市化の進展や公害問題が浮上する兆しも見られた。また、文化面では、前年(1964年)の東京オリンピックを契機とした国際化の流れが一層強まり、日本独自の文化と西洋文化の融合が進んだ。
特に注目すべきは、1965年が新しい時代の価値観を形成する基盤となったことである。戦後の復興から高度経済成長への移行期にあたるこの時期は、変化の中で安定を模索する姿勢が顕著であった。現代の令和7年と比較すれば、同様に変化を受容しつつ、持続可能な発展と文化的多様性を模索する時代精神を共有している。
このように1965年は、変化と成長が同時に進行した年であり、現代に通じる多くの課題と可能性が顕在化した時期であった。この年の教訓を活かし、令和7年の乙巳の年には、過去の経験をもとに新しい価値を創出することが求められる。
令和7年の展望
令和7年(乙巳、きのとみ)の年は、甲辰の年に蒔かれた種が本格的に芽吹き、社会や個人の取り組みが目に見える形で成果を上げることが期待される。
その一方で、「巳」の持つ変化の象徴性から、新たな課題が生じる可能性もある。例えば、気候変動に対応するための技術革新が一段と加速し、再生可能エネルギーの普及やカーボンニュートラルの実現に向けた政策が世界的に展開されることが予想される。また、人工知能(AI)やロボティクスの進化が社会全体に与える影響も拡大し、倫理的な議論や制度設計の必要性が増すであろう。
個人の生活においても、乙巳の年は自己成長と変革の年となる。2024年の経験を踏まえ、個人が自身の価値観を再評価し、新しい目標に向けて歩み出す時期である。特に、働き方や生き方における柔軟性が求められる中で、自己実現のための新しい道を模索する人々が増えると考えられる。具体的には、スキルの再習得やキャリアの転換、新しい人間関係の構築が重要なテーマとなる。
結論
乙巳の年は、柔軟に対応しながら次の段階へ進むための基盤を築く重要な年である。この基盤が次の未来を形作る鍵となり、乙巳の象意に基づき、過去の経験を活かしながら未来に向けて新たな挑戦を始めることが求められる。
さらに、文字学の視点から見ると、令和6年の甲辰は新たな始まりと基盤づくりの年であり、令和7年の乙巳は成長の成果が現れると同時に、新たな挑戦が始まる年である。過去の乙巳年である1965年から学ぶべきことは、変化の中で過去の教訓を活かし、未来に向けた新たな一歩を踏み出すことの重要性である。
令和7年は、社会全体が共通の目標に向かって協力し、個人の成長が社会の発展に繋がる時期となるであろう。安岡正篤先生の言葉を借りれば、「時を知り、己を知り、他を知る」ことが大切であり、これを実践することで、より良い未来を切り拓くことが可能となる。
このように、乙巳の年は成長の成果を確認し、次なる進化への準備を行う重要なタイミングであり、過去の経験を糧に柔軟性を持って挑戦を続けることで、新たな未来が切り開かれる年である。
参考文献:
・公益財団法人 郷学研修所 安岡正篤記念館
https://kyogaku.or.jp/
・干支の活学 安岡正篤著 プレジデント社
・Webサイト:日本の暦
https://www.ndl.go.jp/koyomi/chapter3/s1.html