皆さんこんにちは!
少なくとも、人間たる者は、医者になるとか、政治家になるとかいう目標よりも、どんな生き方の医者になりたいとか、どんな生きかたの政治家になりたいかを、問題にすべきではないだろうか。
At least, as a human being. To be a doctor or a politician. Or become a politician. What kind of life do you want to be a doctor? What kind of life do you want to be a politician? At the very least, as human beings, we should be asking ourselves what kind of life we want to live as a doctor or a politician, rather than what kind of life we want to become.
三浦 綾子(みうら あやこ、1922年4月25日 – 1999年10月12日)は、日本の女性作家。北海道旭川市出身。旧姓は、堀田。結核の闘病中に洗礼を受けた後、創作に専念する。故郷である北海道旭川市に三浦綾子記念文学館がある。)
今日は、一人の女性の生き方から人生をみていきたいと思う。
人生の師父 安岡正篤先生が著した『百朝集』という個人の詩歌、文章を100厳選して解説を加えたコンパクト本(縦15センチ×横11センチ×厚さ1センチ)がある。
2002年当時、私たち夫婦は、これを素読しながら人生の糧としていた。難しい内容の箇所もあったが、実にどの箇所も心に響き、勇気づけられる内容であった。
『百朝集』五八 六中観(りくちゅうかん)の項には、亡き妻の書き込みがある。まずは、その項の内容を紹介しよう。
一 忙中 閑有り
二 苦中 楽有り
三 死中 活有り
四 壺中 天有り
五 意中 人有り
六 腹中 書有り
一 忙しい中に閑がある。閑は自ら見つけるものである。忙中に掴んだものこそ本当の「閑」である。
二 苦しい中に楽しみがある。苦中に掴んだ楽こそ本当の「楽」である。
三 身を棄ててこそ浮ぶ瀬もあれ。うかうかと生きるのは本当に活きるのではない。死を観念する中に本当の「生」がある。
四 人間はどんな境涯にあっても、自分だけの内面世界は作れる。どんな壺中の天を有し、その楽しみを持てるか。
五 意中に人の用意があること。尊敬する人、相ゆるす人物を持つ。
六 知識ではなく、腹の中に納まっている哲学、 自分に哲学・信念を持っていること。 身心を養い、経綸に役立つ学問をする。
「六中観」は、安岡先生の座右の銘である。先生は、同項で次のように述べている。
「私は、平生窃かに此の観をなして、如何なる場合も決して絶望したり、仕事に負けたり、屈託したり、精神的空虚に陥らないように心がけている。」
人生には様々な出来事がある。その出来事をその⼈⾃⾝がどのように受け止めて、その出来事から何を学び、どの様な気付きやメッセージを得て、前向きに歩んでゆくかである。
亡き妻は、2001年に婦人科系の大きな手術(左卵巣摘出)をし、2002年1月に子宮癌の診断を受けた。同年3月に準広汎子宮全摘、内膜症による癒着があり、手術中に尿管完全断裂あって、カテーテルを挿入、同年4月に放射線療法(1.8×25回:45Gy)という状況であった。そして、2003年4月末に腎盂腎炎による発熱のため入院。
その入院中に読んでいた『百朝集』に書き込みがある。2003.11.7の書き込みである。
「苦中の中に必ず活路あり。活路を見いだせる心を養い、見いだせるくらい真剣に自己と向き合っているか?」
亡き妻は、教えてくれている。
「魂を磨く・・・病気になって特に魂は磨かれ、光り輝いていのちのバトンとして手渡された。どんなに苦しくても、悲しくても『生きる』という決断をすることの大切さ。」を。