皆さんこんにちは!
困難の中でこそ、人は豊かなのです。
三浦 綾子(みうら あやこ、1922年4月25日 – 1999年10月12日)は、日本の女性作家。北海道旭川市出身。旧姓は、堀田。結核の闘病中に洗礼を受けた後、創作に専念する。故郷である北海道旭川市に三浦綾子記念文学館がある。)
2005年の11月5日、約10年連れ添った妻をがんで亡くした。
妻は、短大卒業後社会人の第一歩を、三菱銀行(現 三菱UFJ銀行)の秘書課でスタートさせて頂いた。秘書課では、当時副頭取であった奈良久彌様の秘書をしていた。
奈良久彌様のご自宅へ生前のお礼にご自宅を伺ったときに、奈良様から妻が生前(亡くなる一月と十日程前に差し上げた手紙のコピーを頂いた。奈良様からは、余命がまもなく尽きることを悟ったのだろうとの言葉を頂いた。
妻のその手紙は、縦書き自筆であった。
今日はその手紙を記載したいと思う。
拝啓 秋らしくしのぎやすい日が続いておりますが、いかがお過ごしでいらっしゃいますでしょうか。
大変ご無沙汰致し申し訳ございません。又、過日は、お見舞いのお手紙を頂きありがとうございました。目の治療中とのことでしたが、お加減はいかがでしょうか。日常に差し障りがございませんことを願っております。
私の方ですが、お陰様で結婚して十年になり夫婦仲よくお互い支え合いながらやっております。五年前に卵巣のう腫の手術で癌が見つかり早期発見で念の為の抗癌剤治療を行い逆にこれをキッカケに子供が出来たら位に思っていたのですが、翌年に子宮癌とわかり子供はあきらめ、大きな手術を行い、放射線、抗癌剤のフルコースの治療を行いました。幸い防衛医大が所沢にあり自宅からも車で10分位と近く、又、婦人科治療にも定評があり先生方にも恵まれ、つかず離れずいつでも入院できる状態でお世話になっております。
少し落ち着きましてから、また、一年半後に腸閉塞を起こし入院時に癌の肺への転移がわかり抗癌剤の他にも自然療法なども行い、今月から瀬田クリニック系の病院で自己免疫活性化療法(自分の血液の中のリンパ球を千五百倍ぐらいに増やして、また自分の体内に戻す最新方法)をまだ保険では認められていませんが副作用がないという利点があり試しております。
患ってからもずっとDCOの新入社員研修は私が治療中の時は主人が代行させて頂き今年も続けさせて頂いております。
今年に入りましてからは肺(背中と胸)に痛みが出て薬でもなかなか抑えきれず、仕事の方はおやすみさせて頂き、家事も主人に頼り、実家の家族や主人に支え励まされ身体は自分にではどうにもなりませんが、心は穏やかに過ごさせて頂いております。ご心配頂きありがとうございます。
今年で早いもので四十六歳になりましたが、お陰様で社会人の第一歩を銀行の秘書課でスタートさせて頂き、本当に一から十まで手取り足取り教えて頂き、他では出来ない貴重な体験をさせて頂き、とても充実した楽しい日々をお陰様で送らせて頂きました。
心より感謝申し上げております。
このところだいぶ病に見込まれ苦難続きですが、それでも平和な日本で最新の医療をこうして家族や周りの皆様に支えられて受けられますことは、本当に有難く感謝の気持ちで一杯です。又、そう思いながら日々過ごせることがとても幸せに感じております。
寿命は自分では決められませんので、生かされている今、自分に出来ることをさせて頂き無理せず、にこやかに日々過ごしていけたらと思っております。案外ある日突然、今まではいったい何だったとのと思うくらい病気がすーと消えてしまうような気も致します。このような楽天的な性格に産み育ててくれた両親に、この年になっても世話になったり、心配をこちらがかける方が多く、心苦しいと思うこともありますが、親子として縁がありましたこと、そして無償の愛で慈しみ育ててもらいましたことにとても感謝しています。(家から実家まで二から三分の処に住んでいます)
大変ご心配をおかけ致しましたが、病を通して夫婦や家族の絆が深まり、今までは当たり前として見過ごしてきたことや気付かなかったことなどもわかり、見えてきて幸せを実感しながら生活しておりますのでどうかご安心下さいませ。
実はトウモロコシを少し食べ過ぎ、自業自得だったのですが軽い腸閉塞で一週間ほど入院し、今日やっと退院になりました。そんなこんなでご心配頂きながらお手紙が遅くなり大変失礼を致しました。
秋のよい季節とはいえ寒暖の差もございますので、どうぞ呉々もご自愛下さいませ。ご夫婦共にお健やかで穏やかな日が続きますことを心より願っております。奥様にもよろしくお伝え下さいませ。 敬具
平成十七年九月二十六日