バッハと星空に遊ぶ

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皆さんこんにちは!

Even if it isn’t seen, a wind is going around a windmill. I’m appearing even if the music isn’t seen, I begin to whisper.
風は見えなくても風車は回っている。音楽は見えなくても心に響いてくる、囁きかけてくる。
ヨハン・ゼバスティアン・バッハ(18世紀のドイツで活躍した作曲家・音楽家)

今日は、趣を変えてブログ旅の間奏曲とでもいいましょうか、ショートストーリー「バッハと星空に遊ぶ」をお楽しみ願いたい。

私が、30代前半に勤務していた米国系化粧品会社 日本法人の社内報に何か書いて欲しいと担当者からの依頼があり、イマジネーションを膨らませて書いたものを転載する。

白馬にて

白露しげきころ。
私は、久し振りに週末を白馬にあるささやかな別荘で、妻・沙絵と三歳になる娘・可奈と共に過ごしていた。私たちは、妻の手造りの美味な夕食を楽しんだ後の一時をリビングで寛いでいた。

リビングには、ヨハン・セバスティアン・バッハ作曲、ゴルトベルク変奏曲BWV988の美しいメロディーが流れていた。

大きな窓からは、天の川や無数の星座・星雲など星々が美しく輝いていた。それはあたかも、母親が我が子をその母の優しい愛が包み込むように、私たち家族を見つめ包みこんでいた。

写真2

妻・沙絵は、娘・可奈を相手に趣味の手編みをしていた。私は、ブランデーの入ったグラスを手に、満天の星を眺めながらゴルトベルク変奏曲に耳を傾けていた。それは、わたしを陶酔の世界へと導いていった。

私は、初めてこの曲を銀座の喫茶店で聴き、感動のあまりすぐにそこを飛出して、レコード店でこの曲の入ったコンパクトディスクを購入したときのことを思い出していた。

フォルケルのバッハ伝

その附属の解説書には、フォルケルの「バッハ伝」に基づく曲の由来が書かれてあった。

時は、1741年。バッハは、任地のライプツィヒから、選帝侯国の首都であるドレスデンに旅をした。ドレスデンは、当時進歩的な音楽の営みの一大中心地であり、バッハの肩書はその「宮廷作曲家」であった。ドレスデン入りしたバッハは、称号請願の際、力添えをしてくれたロシア公使カイザーリング伯爵のもとを訪れる。

そこでバッハは、ヨハン・ゴットリープ・ゴルトベルクという14歳の少年に出会った。この少年は、並みならぬ楽才ゆえに10歳のころダンツィヒからスカウトきれ、伯爵邸に仕えながら、鍵盤楽器演奏に磨きをかけていたのであった。

伯爵は当時不眠症にかかっていた。眠れぬ夜は、ゴルトベルクにクラヴィーア演奏をきせるのを常としていた。そこで伯爵は、そんな折りに演奏させるための「穏やかでいくらか快活な性質をもち、眠れぬ夜に気分が晴れるようなクラヴィーア曲」をバッハに所望し、バッハはひとつの変奏曲(ゴルトベルク変奏曲)を書いて、依頼者に応えた。

伯爵はルイ金貨が百枚詰まった金杯をバッハに贈り、この曲を「私の変奏曲」と呼んで、長年愛聴し続けた。

歴史の重み

近年、この有名な逸話には、疑問が投げかけられていると言われているが、その様なことは、私には大きな問題ではない。なぜなら、この曲自体が持つ、人を感動させる差しさの方が重要であるからである。

私は、歴史の重みに耐えたものが好きだ。音楽であろうと、美術であろうと、文学であろうと、分野を問わない。それらには、時を超えた貴重な原理原則があるからだ。

秋の夜長の夢物語はミステリアス

さて、こんな思いを抱いていると、いつのまにかグラスのブランデーは空になっていた。

私は、2杯目をグラスに注ぐためにブランデーの入ったボトルに手を伸ばした。そのとき、妻の方を見ると、先程と同じように娘を相手に楽しく手編みをしていた。

私は、ブランデーをグラスに注ぐと再びバッハと星空の世界へと入っていった。それからしばらくして、この美しい変奏曲に混じって電話のベルの音が聞こえてきた。電話のベルは、長い間鳴っていたようだ。

妻は、手を放せないらしい。私は、立ち上がって電話の方へと歩き始めようとした。その瞬間、目の前から妻・沙絵と娘・可奈の姿が消えた。どうしたのだ!私の頭は、混乱した。私は、事態を把握するのに時間を要した。

私は、自宅のリビングでブランデーを飲みながらバッハの音楽と星空に遊んでいるうちに、転寝をしてしまったのである。そのとき、夢を見たのであった。

そう、これは、秋の夜長の夢物語であったのだ!

現実の世界では、まだ、電話のベルが鳴っている。私は、急いで受話器に手を伸ばしそれをとった。受話器からは、女の声が聞こえてきた。

「私、サエです。今週末、会えないかしら。」

「えっ。!?」

夜空には、満天の星が魅惑的に輝き、バッハのゴルトベルク変奏曲BWV988は、第30変奏曲を美しく秦でていた。(完)

満天の星空

左記動画のプレイボタンをクリックするとバッハのゴルトベルク変奏曲BWV988第30変奏曲が聴けます。

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投稿者プロフィール

市村 修一
市村 修一
【略 歴】
茨城県生まれ。
明治大学政治経済学部卒業。日米欧の企業、主に外資系企業でCFO、代表取締役社長を経験し、経営全般、経営戦略策定、人事、組織開発に深く関わる。その経験を活かし、激動の時代に卓越した人財の育成、組織開発の必要性が急務と痛感し独立。「挑戦・創造・変革」をキーワードに、日本企業、外資系企業と、幅広く人財・組織開発コンサルタントとして、特に、上級管理職育成、経営戦略策定、組織開発などの分野で研修、コンサルティング、講演活動等で活躍を経て、世界の人々のこころの支援を多言語多文化で行うグローバルスタートアップとして事業展開を目指す決意をする。

【背景】
2005年11月、 約10年連れ添った最愛の妻をがんで5年間の闘病の後亡くす。
翌年、伴侶との死別自助グループ「Good Grief Network」を共同設立。個別・グループ・グリーフカウンセリングを行う。映像を使用した自助カウンセリングを取り入れる。大きな成果を残し、それぞれの死別体験者は、新たな人生を歩み出す。
長年実践研究を妻とともにしてきた「いきるとは?」「人間学」「メンタルレジリエンス」「メンタルヘルス」「グリーフケア」をさらに学際的に実践研究を推し進め、多数の素晴らしい成果が生まれてきた。私自身がグローバルビジネスの世界で様々な体験をする中で思いを強くした社会課題解決の人生を賭ける決意をする。

株式会社レジクスレイ(Resixley Incorporated)を設立、創業者兼CEO
事業成長アクセラレーター
広島県公立大学法人叡啓大学キャリアメンター

【専門領域】
・レジリエンス(精神的回復力) ・グリーフケア ・異文化理解 ・グローバル人財育成 
・東洋哲学・思想(人間学、経営哲学、経営戦略) ・組織文化・風土改革  ・人材・組織開発、キャリア開発
・イノベーション・グローバル・エコシステム形成支援

【主な論文/プレス発表】
「仕事と脳力開発-挫折また挫折そして希望へ-」(城野経済研究所)
「英語教育と脳力開発-受験直前一ヶ月前の戦略・戦術」(城野経済研究所)
「国際派就職ガイド」(三修社)
「セミナーニュース(私立幼稚園を支援する)」(日本経営教育研究所)

【主な研修実績】
・グローバルビジネスコミュニケーションスキルアップ ・リーダーシップ ・コーチング
・ファシリテーション ・ディベート ・プレゼンテーション ・問題解決
・グローバルキャリアモデル構築と実践 ・キャリア・デザインセミナー
・創造性開発 ・情報収集分析 ・プロジェクトマネジメント研修他
※上記、いずれもファシリテーション型ワークショップを基本に実施

【主なコンサルティング実績】
年次経営計画の作成。コスト削減計画作成・実施。適正在庫水準のコントロール・指導を遂行。人事総務部門では、インセンティブプログラムの開発・実施、人事評価システムの考案。リストラクチャリングの実施。サプライチェーン部門では、そのプロセス及びコスト構造の改善。ERPの導入に際しては、プロジェクトリーダーを務め、導入期限内にその導入。組織全般の企業風土・文化の改革を行う。

【主な講演実績】
産業構造変革時代に求められる人材
外資系企業で働くということ
外資系企業へのアプローチ
異文化理解力
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